いつもより少し早い梅雨の始まりとともに、2026年のGWが終わりを告げた。
国道58号線を埋め尽くしていた「わ」と「れ」のナンバーはすっかり影を潜めたが、私の通勤ルートに関して言えば、「わ」と「れ」以外のナンバーで埋め尽くされ、いつもと変わらぬ渋滞が起きている。
満員電車が嫌で沖縄に戻ってきたのに、通勤時はいつも渋滞じゃ大して変わらないなと嘯きながら、パーソナルスペースが確保されている分まだマシか、と、FMから流れてきた曲を口ずさむ。
森山直太朗「夏の終わり」。
梅雨に入ったばかりのこの時期にこの曲をリクエストする変わり者もいるものだと思いつつ、懐かしさを覚え、声の輪郭が少し大きくなる。
ふと視線を感じ辺りを見渡すと、前の車のバックミラーに映る中年男性の目線。恐らく同い年くらいだろうか。
渋滞で一向に進まず、特に何もすることの無い車中では、バックミラーに映る中年男性(私)の熱唱はさぞかし目に止まったのだろう。
やれやれ、パーソナルスペースも何もあったものではない。
せめてあちらも同じFMをかけてくれていれば、”夏の終わり”という共通言語を通して、ミラー越しにお互い微笑むという世界線もあっただろうに。(そんな世界線を誰が望むのだろうか)
私が急にこのような薄っぺらい村上春樹みたいな文章を書き出した理由はただ一つ。五月病である。
仕事行きたくない。
ノルウェイの森の主人公のように、雨の日は軒先の雨音を聞きながら、あるいはヤナーチェクのシンフォニエッタを聴きながら(これは1Q84)、自省という名のダラダラをしていたい。
しかし私のサラリーには妻と二人の息子の生活がかかっている。だから私は今日も会社に向かう。外から丸見えの窓がついたパーソナルスペースに乗って、渋滞すると分かりきっているこの細い道を。
沖縄県民は観光客のことをどう思っているのか
ご想像の通り、GW期間中は、「わ」と「れ」のナンバーに乗り、オリオンビールのTシャツを着た観光客が那覇の街を埋め尽くしていた。
観光地からは少し離れた私の居住エリアにも、大きなスーツケースを押すオリオンガール(正確には意味が異なるが、きっと意味は通じるだろう)が右往左往しており、旅先としての”沖縄”の人気を改めて実感する。青い海と独特の文化、まして言語も物価も同じ日本となると、当然と言えば当然だろう。
統計によれば、GW期間の入域観光客数は約30万人前後。沖縄県の人口は約145万人なので、人口の20%相当が一気に増える。
この規模感が証明するとおり、沖縄は名実ともに観光立県である。沖縄の経済を活性化させるためには、多くの観光客に沖縄に足を運んでもらった方が良いに決まっている。
では県民の腹の内はどうなのか。
どれだけ沖縄経済に重要なファクターだとしても、それで我々の手取りが増えるわけではない。
社会やコミュニティに対して与える便益の大きさと、個人がそのものに対して抱く感情は必ずしも比例しない。
苔を食べるプレコは、水槽にとっては便益しか与えない魚だが、アクアリウムを趣味に持つ人がプレコを好きかどうかは別の話であることと同じだ。(違うか)
では、”イチャリバチョーデー(出会えば兄弟)”はコマーシャリズムのもと生まれた単なるキャッチフレーズなのか。
島国という地理的特徴や、戦後復帰するまで米国統治下にあったコンプレックスから、排他的な県民性というのは本当なのか。
道往くおばあさんに「おばぁ〜」と話しかけたらおばあさんはどう思うのか。
県民の声を代弁できると思うほど烏滸がましくはないが、大学4年間以外はずっと沖縄にいるネイティブが、あえて言わせてもらう。
沖縄に来て。みんなで、何度でも。
沖縄のことが大好きな沖縄県民
なぜなのか。端的に答えるなら一つ。沖縄県民は、沖縄のことが大好きだからである。
いやいや、地元はみんな好きでしょうと宣うあなた。4月に意気揚々と東京の大学に入学し、翌月のGWに高いフライト代を払って沖縄に帰る人を見たことがありますか。(あの頃の私)
窓を臨むと視界の端っこに入ってくる青い海。泳ぎに行かずとも、”そこに海がある”ということを空気で感じ取れる。高い山もビルも無い、突き抜けるような青い空。ジメジメした暑さももはや愛おしい。
私は、沖縄県民には、この自然や風土などの空気感を慈しむ絶対的な愛があると思う。もうこれはアガペー(キリスト教が説く無償の愛)である。
中国との交流から生まれた独特な琉球文化。アメリカ世と言われる米軍統治下時代の名残が息づく街並み。これら後天的に形作られたカルチャーも多彩な魅力に溢れているが、それらとも違う。
なぜか。
それは、沖縄県民が、これらの自然や風土に”圧倒的当事者意識”を有しているからである。沖縄県民のDNAには、沖縄の空気感を愛する25個目の染色体が組み込まれている。(世代がバレる)
誤解を恐れずに言えば、こんな感じである。
▶︎首里城を訪れる観光客を見て
”尚家(当時の王様)が作ったお城、すごいですよね。中国の文化の影響を大きく受けてるんですよ。首里城に見学に来られるなんて、琉球文化に興味を持ってくれてとても嬉しいです。”
▶︎アメリカンビレッジを訪れる観光客を見て
”在沖Americanもこの街並みが好きでたくさん歩いてるから、余計アメリカン度が増すよねYeah。もはやIt’s more Guam than Guam。”
▶︎コザ一番街を歩く観光客を見て
”アメ女かな? ”(大いなる誤解)
▶︎海で泳ぐ観光客を見て
”どや、沖縄の海綺麗だろ!フゥーーーーーーー!!!”
誰のものでも無いが故に、みんなが自分のものと思っている。
圧倒的当事者意識。自己啓発本よりよっぽど腹落ちする。
自分の物を褒められると人は嬉しい
「髪切った?良い感じ」「そのワンピースどこで買ったの?」 「今度その車乗せて欲しい!」
自分の物を褒められると、人は誰だって嬉しい。
沖縄を楽しんでいる観光客を見ると、沖縄県民は嬉しくなる。
そしてそれは、歴史や文化といった先人が紡いできた結果として構築されたものよりも、神様が沖縄という島にたまたま与えた自然というギフトであることが結構重要だったりする。
オリオンTシャツは決して買わないけれど、オリオンTシャツを着てビーチでインカメ自撮りしている観光客を眺めながら、ビーチパーティーで飲むオリオンビールはこの上なく至福なのである。
私は、道往く人から、いきなり「イチャリバチョーデー!」とか言われてハイタッチを求められると流石に戸惑うが、牧志公設市場でキョロキョロしている人に、「買った魚を2階に持っていったら調理してくれますよ」と話しかけるくらいには、観光客のことが好きである。
新聞で騒がれるほどオーバーツーリズムだと思った事は無いし(昨年行った京都の方がよっぽどだった)、行列ができるお店は、GWじゃなても常に行列している。
沖縄県民が観光客のことをどう思ってるか気になる観光客の皆さんへ
FMから流れていた「夏の終わり」が静かにフェードアウトした。
通勤時間帯の渋滞は思ったよりも深刻で、1曲分で進むのはせいぜい1〜2km程度である。
満員電車よりは幾分マシだと自分に言い聞かせながら、次の曲を待つ。
スマホからBluetoothで飛ばせば自分の好きな曲が聴ける。そんなことは分かっている。でもそれは少し野暮ではなかろうか。ランダムに流れてくる曲が自分の今の心境にぴったりだった時の高揚感、初めて聞く流行りの曲が面白かった時の意外性。それがラジオの醍醐味なのだから。
流れてきたのは、大江千里の「夏の決心」。
やれやれ。常識で考えたら、こっちを先に流すべきでは無いか。夏が終わった後に何を決心すれば良いのだろう。
しかし、ラジオの選曲に”常識”や”べき論”があるのだろうかと考えると、まぁどっちでもいいかとなる。
沖縄らしいテーゲー(適当)さがちょうど良いではないか。
それに、5月上旬に流すのは些か気が早いかもしれないが、日本に存在する全てのアラフォーを童心にかえらせる名曲だ。
牛の歩くような速度でしか進まない前方車両の中にいる中年男性が再び目に入る。
歌っている。
ミラー越しでも分かる。「夏の決心」を熱唱している。
なんだ同じFMをかけているではないか、共通言語があったのにあの冷たい視線はあまりにも酷い。森山直太朗好きじゃないのかな。
しかし、突如判明した共通言語を用いて、ミラー越しにお互い微笑む世界線を成立させるにはお互い歳を取りすぎていた。(第一、誰がそんな世界線を望むのだろう)
沖縄県民が観光客のことをどう思ってるか気になる心優しい観光客の皆さん。
沖縄のことが大好きな沖縄県民は、沖縄を楽しんでくれる皆さんを見て嬉しくなるし、
観光立県沖縄の経済が潤えば、私のサラリーにも好影響があるかもしれない。
だから、もう一度伝える。
沖縄に来て。みんなで、何度でも。
どう思ってるか気になっているということは、沖縄に興味を持ってくれているということである。
だから、どう思ってるかなんて気にせず、目一杯沖縄という素晴らしい地を楽しんでほしい。
大江千里が歌っているように、夏休みはやっぱり短いのだから。
もし沖縄に来てくれるなら、こんな記事もあります。

コメント